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2013年6月 9日 (日)

沖縄からサバトへ 31

次なる神社も、

いくつかある中から当日まで詳しい指示がないので、
近くまで行ってみる。
 
「上社」
ということを言われていたのですが、
だんだん近づいていくと、
「こっち。」
という事が分かってくる。
せっかくだから、もう一つの方にもお参りしてみると、
同じ上社でありながらも、
「違います。」
オーラをこうも出すものかと、笑ってしまうのですが、
温泉水の手水場は、素晴らしい!
このお湯で温泉に入りたい!
Th_img_0393
ここも趣のある素敵な所ですが、早々に引き上げ、
目的の方に向かいます。
Th_img_0410
村の鎮守の神さまの趣。
本殿の先に進むように言われます。
 
水の流れの音が常に心地よく響き、全体を包み込んでくれています。
一歩足を踏み入れた途端に、紛う事なく「ここ!」
という事がわかります。
面白い記事を見つけました。
上社前宮には御頭祭という祭祀がある。これはミシャグチ神を奉祝する祭の一つで、この祭祀権を持つ神長官は、明治維新を境に制度廃止となるまで守矢家(現在78代目)の世襲となっていた。「諏訪明神絵詞」によれば古代、建御名方命が諏訪に侵攻したとき、天竜川河口で迎え撃った先住部族の族長が守矢家の先祖の洩矢神と伝えらる。ところで、このミシャグチ神というものが諏訪の祭祀を考える上で非常に重要になる。ミシャグチ神は草木や石、人に降りる精霊で、蛇神、山神、水神等々の原初の信仰である自然崇拝が元になった神とされ、この神を降ろす儀式は、先住部族の祭祀を司る守矢家によって、神別(祭神建御名方の子孫)の大祝に対して行なわれた。つまり、信仰の実権は守矢家が保持していたことになる。このような祭祀の構造は後から来た建御名方命に象徴されるような渡来人や朝廷による支配に対して、表向きは従属しながら実質的には原始神への信仰を保つ有効な方法だった。御頭祭ではかつては前宮の十間廊に75頭の鹿の頭(今は剥製数頭で代用)を供えたといわれ、他にも矢を刺した蛙を神前に供える蛙狩神事などがあり、前宮では動物の生贄が求められてきた。このことは日本に農耕文化が浸透してもなお、狩猟を中心とする土着の信仰が根強く生き続けていたことを示している。
 
原始神への信仰。
自然崇拝。
 
明日は、ココからスタートです。
 
 

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