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2013年4月 1日 (月)

サバトから沖縄へ 17

こうして、改めて感じてみると、

自然が織りなすエネルギーの流れは、
人間が作った「神」や「神を祀る社。」
を遥かに超えたエネルギーを持つ。
 
なぜなら、
「生きて、常に流れている。」
からだと思う。
 
エネルギーは枠組みを持つと同時に、
動きが制限されると、
次第に、自分がその枠組みだと勘違いしていく。
 
人間もしかり、
身体という枠組みを持つ事で制限され、
次第にその枠組みが自分だと勘違いしていくのだ。
 
エネルギーは常に流れているものだ。
その動きが制限されなければされないほどに、
パワフルになっていく。
 
こうして、導かれるままに動いていくと、
神を祀る社が目印のように存在している。
しかし、それはあくまで目印であり、
その背景にあるエネルギーこそが、主役なのだ。
 
それは、自然である。
人間がどうやっても作り得ない、
神の創造物であり、
また、神の一部でもある。

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