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2013年3月31日 (日)

サバトから沖縄へ 16

そして、更に奥の方に進みます。

すると、上空から見た地図にある丸い池が見えてきます。
人気がなく、私の足音が近づくと、
池の中から鯉の大群がゴモゴモと近づいてきます。
ピョンとか飛び跳ねちゃうコもいます。
そのゴモゴモ、ピチャンという音が響く池。
この池は、「神池」という池だそうです。
Th_img_0021
池の脇には、こんな説明が。
Th_img_0020
更に、導かれる方向に進んでいきます。
池をぐるっと廻るようにしていくと、
海沿いの小道に出ます。
その道を辿っていくと、
素晴らしいビャクシンの樹林があります。
大きな大きな木が並ぶ林の中は、
自分が小さく小さくなって、
まるでアリスの世界に入ってしまったような不思議な感覚になります。
ビャクシンの木は今にもゆっくりと動いて低い声で語りだしそうなほど。
手を当ててみると、呼吸が聞こえてきます。
時間の流れが、ビャクシン時間に変わっていきます。
すると、流れる風や海の音もより一層深いところで響き始めます。
池の周りは収縮する霊気に満ちている感じがしたのですが、
この辺りは、とても開けて気持ちのよい場です。
大きなビャクシンの中でも一段と大きな存在感の木がありました。
Th_img_0025
ご神木です。
導かれる感じは、ここで止まりました。
ぐるっとご神木の周りを回ってみると、
エネルギーが増すポイントがあります。
そこに立ってみると、
何と、後ろには、
Th_img_0028
富士山が。(薄いけれど、見えるかな?)
神池、ビャクシンのご神木、富士山が一直線に並びました。
そのライン上に立つと、
また導きがありますので、
その指示に従います。
ゆっくりと優しくそこにあるエネルギーに委ねながら。
その一つづつを感じてみると、
それぞれに個性的な龍の存在が感じられ、
それがライン上に並ぶと、
もの凄く大きく立体的なエネルギーになります。
それを感じると、内側からこみ上げるものと外側から流れ込むものが、
渦になって駆け巡るようなパワフルさです。
自分の物質的な肉体が活性化するのを感じながらも、
それに負けず、エネルギー体も活性化していく。
漫画が書けたら「グワーン!」とか
螺旋系で書いて、
劇的にこの様子をお伝えできるのに、
残念。
そう、螺旋のエネルギーなのです。
あまりの素晴らしさに、暫くその場を離れられませんでした。
 
そして、富士山を目の前にしながら歩く海岸線は本当に素晴らしい景色でした。
いつまでも、この素晴らしい景観が続くと良いなぁ と思います。
 
 

2013年3月30日 (土)

サバトから沖縄へ 15

とにかく、日々たくさん情報を頂き、

面白い情報があって娘に話すと、
「大きいねー。」
「お母さま、他で言わない方が良いよ。」
と、まぁ全うなリアクション。

まだ可愛い姪っ子と甥っ子は、
「へー!」
と聞き入ってくれます。

さて、数ヶ月前から姪と甥に、
「一緒に行こう!」
と誘われていた旅行に行きました。

ふと、ホテルの窓から向かいの半島を見ると、
アプローチが。
「来なさい。」と。

「呼ばれたら、出来る限り実行。」
「自分の為じゃなくて、全託。」
と、沖縄の師匠に言われています。

行きましょう。
皆と別れて。
何があるかは分からないのですが、とにかく、翌朝出発です。

直行するバスは、早朝か夕方しかありません。
だから、途中まで行くバスとその先はタクシーで2時間かけて行かなければいけないようです。
事故を起こしてから3年以上運転していないけれども、
車じゃないと不便・・・

↓地図で検索。ここに行きます。この丸い所。
240pxosezaki_cape_aerial_photograph
(Wikipediaより)
タクシーを降りて、半島の先端に行く途中には、神社がありました。
しかし、ここに来るまでダイビングをする数人以外に人には会わず、
とっても静かな所です。
交通の便が悪いから、来られないのでしょうか。
鳥居の下あたりに、赤い下駄があるのが見えるかな?
Th_img_0015

2013年3月25日 (月)

同調する 1

一月から始まったエネルギーの学校4期。
初級6回クラスが昨日修了しました。

 
毎回、クラスを行う毎に私の中でも様々な気づきがあります。
ご出席くださる皆さまが持っている性質や問題は、
十人十色で、同じものはないからです。
 
だから、毎回体中を耳にして、感知できるエネルギーを全開にして、
出席者の方が話してくださる事、そのエネルギーに同調していきます。
 
そうすると、ご本人には気づかない抑圧されている部分が見えてきます。
 
面白い事に、何十年とそのエネルギーの中で暮らしている本人には、
それがあまりに日常になっているのでわかりません。
しかし、その枠組みを広げていく事なしに、
さらに大きな知覚を得る事も現状の問題を打破する事もできません。
だから、私はその枠組みを見つけ、それを外す様にととにかくいい続けます。
昨日も、
「5年言われ続けて、やっと手放した。
その間、ユキさん大嫌いだ〜!
と、何度も思った。」
という参加者もいらっしゃいました。
良いんです。
大嫌いと思われようが、枠組みを外してもらう事が出来れば。
私はこの上なく嬉しい。
それなしに、前に進めないから。
でも、出来る事ならば早々に手放し、
そんなに年月をかけない方がエネルギーのロスは少ない。
 
観察していると、殆どの人が自分を小さな枠組みの中に押さえ込んでいる感じがします。
 
そこで、実験しました。
参加者全員の一番外側の枠組み(オーラと言えば分かりやすいでしょうか。)を、
少しづつ広げてみたのです。
 
広げると皆一様に穏やかな表情になります。
クラスでは、もの凄い情報量を筆記してもらいます。
これも、上のエネルギーを下ろす為の訓練になるそうです。
(by クラスを守護してくれる存在。)
始めは筆記についてこられない人も、
回を重ねる毎に、聞いた内容を瞬時に把握し文字として現象化していく作業がスムーズになってきます。
しかし、もの凄い集中力が必要。
ぼーっとしていると、数行聞き逃します。
 
「筆記の前に広げてほしい。」
とのご要望にお答えして、
筆記の前にそれぞれのエネルギーの枠組みを広げました。
結果、作業がスムーズに行えたそうです。
 
「自分のやりたい事が分からない。」
という言葉を最近よく耳にします。
もしかしたら、ご自分を小さく見積もりすぎては居ないでしょうか?
もう少しご自分の枠組みを広げて、
大きな視野から見渡した時に、
「何か。」
は見えてくるのではないでしょうか?
 
 
「みんな、自分を小さく見積もり過ぎではないか?」
と、思うのです。
より高い目標を持ち、
そこに向かう為に自己変容していく作業をしていけば、
必ず目標に達成できる。
と、私は信じています。
 
 

2013年3月23日 (土)

自分を尊敬する人になりなさい。

昨日の長女の卒業式での学部長の言葉。

ことあるごとに、出てくるSFCの先生方からの言葉は、
子どものみならず、私まで刺激を受け、
背中を押されました。

最近少々悲観的な視点が多かったけれども、
(だから、卒業式に向かう途中でエスカレーターで落ちて、
マノロに血を滴らせて、会場入り。
悲観的になると何かがずれる。
私はずれると、転ぶ事が多い。
エネルギーの変換が必要でした。
アルマーニは破れ、マノロが血にまみれ、足は包帯に覆われても必要!
「不注意」説も家族からは根強くあるが・・・)

学部長同士の、
「これから世の中はどうなっていきます?」
との掛け合いの中で、
「私はね、楽観的なんですよ。
今まで成し得なかった事が どんどん出来るようになる。
非常に楽しみです。」
この人は、日本にインターネットの基礎を築いた人。
先生の身体の周りには、
とにかく、ポジティブさが漲って滴っている。
声の質も、声のでかたも、行動も。

この人の近くに居て、良い影響を受けないはずがない。
だから、ここの学生は切り開いていく力がある。
このあり方こそが大切。

何が起ころうと、前向きに精一杯生きて、生き抜こう!
後悔のないようにやる事をやるのみ!

こんな時に、ファニーガール!

ぼんやり生きるなんて無理
人生はキャンディ
太陽はバター
雲を呼んで 雨を降らせないで
飛ばずにはいられない 落ちたって平気
私のパレードに雨を降らせないで

バンドで行進よ ドラムをたたくの
私が三振したら 次はあなたの出番
失敗してもフェアに挑むわ

私は完璧なバラ? それともそばかす娘?
私は燃えがら? それとも瞳輝く女?

とにかく飛ぶわ だって人生は一度きり
人生ってこんなにみずみずしいのよ

胸を躍らせ 愛へと突き進む
私の行く道に 雨を降らせないで

今こそ全力で 欲しいものをつかむわ
さあ 真剣勝負よ 一投で勝利の鐘が鳴る
狙いを定めて一発当てる バン!

アーンスティンさん 今行くわ。

バンドで行進よ ドラムをたたくの
私が三振したら 次はあなたの出番
失敗してもフェアに挑むわ
胸を躍らせ 愛へと突き進む
もう誰も私のパレードに
雨を降らせやしない!

 

2013年3月22日 (金)

サバトから沖縄へ 14

集中的に音叉を使って、がっつり冥王星のワークに取り組む。
冥王星は、
生と死。
変容。
2008年に始まり、
2023年まで続く冥王星と山羊座の取り組みは、
やっと3分の1。
自分中心だった価値観を、
上の視点での価値観に変容させていかなければならない。
 
 
さて、今朝も
指示が来た。
「早く、光の神の居場所を探すように。」
と。
「月末月初に計画してますけど。」
と言うと、
今日、行く所があるという事。
今日は仕事も入っているし、忙しい。
と、言うと、
「近辺だから、大丈夫。」
との事で、
お風呂をササッと済ませて、出発。
電動自転車圏内の神社。
 
先ず、一社目。
桜が咲いているし、戌の日だから朝から盛り上がっている。
Th_img_0060_2
境内を隅々歩くけれども、
「ここ!」
がありません。
指示を仰ぐと、
この神社と同年代に創建された5分ほどの神社に行くように指示される。
ググりながら指示された方に向かう。
川の反対側に
「誰も気づいていないでしょ。」
って感じの神社。
ここも、先ほどの場所も同じように古墳時代の土器が発見されたというけれど、
この差は何?
というほど寂れている。
なぜかギリシャ風の柱がある本殿。
Th_img_0063
敷地内に居るのは、私とからす一羽だけ。
どこ?
ありました。
境内の隅に。
Th_img_0064
この辺りのエネルギーの中心が。
ここを開けていきます。
恐らく、古代の人たちがここが大地のエネルギーが溢れてくる所と気づき、
その辺りで生活したのだと、思われます。
ここが奥の院でしょうか。
 
エネルギーの開け方を今日習ったのですが、
これは、非常に感慨深いものでした。
なぜ、私がこのお役目を授かったのを
示唆するような。
しみじみと、自分の人生の流れを愛おしく感じました。
 
 
 

2013年3月20日 (水)

サバトから沖縄へ 13

スーパーバイザーに報告。

地球の状況を見せられてガックリしている話をして、
「なぜ、私ごときがこれを見なければならなかったのか。」
との問いに、
「だからこそでしょ。
興味がある人は知っているから。
気づいていない人に教えなきゃね。」
との答え。
「なるほど!」

「でもね、これを見る事で自暴自棄になる人には見せない。」
との事。

人類は、こうして何度も何度も同じ過ちを繰り返し続けている。
そして、ブルブルッとされて、一掃され、
地球が再生した所に、
また生息し始め、同じ事を繰り返す。
どこかで、お利口になろうではないか! 

『絶望していないで立ち上がれ〜!わたし。』

さらに、
「人間に真に人間に絶望しなければ、次の段階に入れない。」
との深い言葉。
深すぎる。。。
そもそも肉体を持った状態で本当の自由などあり得ない。
自由は魂の状態でしかないのだ。
物質の世界は限界がある。
その限られたものの中でいかに共存していくか。
深い。

絶望しながらも、やるべき使命をこなしていく。
かつ、神との交流を深めていく。
私の宿題です。

来週から4月にかけて、
上からの課題もこなしていかなければなりません。
こなさないと、調子悪くなるから。

かつ、新しく始まるクラスの構成も。。。
悩んでいる暇はない!
一歩づつ進もう。
と、自分に喝を入れる一日でした。

2013年3月19日 (火)

サバトから沖縄へ 12

同調。

これはとても大切。

自分がどの辺りまで同調できるのかを、
しっかりと身に付けておかないと、
見えない世界のどの辺りと取り組んでいるか、
迷子になる。
迷子になっていると認識出来るならば、まだ良いが、
ともすれば、
自分の想念が作り出したアストラルの世界が、
この世の全てであると認識しがちになってしまう。
得てして、
「自分は、分かった。」
と思い、
下位のエネルギーで満足してしまう。
「井の中の蛙大海を知らず。」
常に、大きな所に向かい謙虚に研鑽を積みたいものだ。

 

さて、
私はいままで様々な所で様々な手法をならってきた。
そして、その都度それぞれの場所で、
「神」
について質問した。
しかし、いずれも明確な答えは得られなかった。
なので、自力で探した。
(しかし、宗教や霊能者は嫌いなので近づかない。
これも一つの私の中にある枠組みなのだろう。)

ここにきて、沖縄の師匠と出会う事が出来て、
「神の世界。」
を見せてもらう事になった。
本当にありがたい事です。

その差はなんだろう?
それが知りたくて、いろんな所を探してきたけれども。

その、答えは簡単だった。

「神とともに生きているかどうか。」

神とともに生きている人以外、
「神」
を語る事は出来ないのだ。

そして、それが団体になってしまった時、
その枠組みを守る為に、
「真の神」
の言葉や方向性とは離れてしまうのだろう。
これが、宗教である。

クリシュナムルティが彼の教団を解散したのは、
人類の歴史の中でも、とても意義ある事だと思う。

 

2013年3月18日 (月)

サバトから沖縄へ 11

ここまで書いてきて、

こんな事を言い始める事に 戸惑いを一番覚えているのは、
我欲の強い私だと思う。
だからこそ、徹底的なエゴのワークを自らにも課しているのに。
それに、説教臭いのが何よりも嫌い。
 
 
まさか、こんな事になるとは・・・
もしも、ここに来ると分かっていたのならば、
沖縄には行かなかったかもしれない。
こんな私ですら使わなければならないほどに、
切迫した事態だとも言える。
もっともっと、真摯に地球の事を考えてきた人たちに申し訳ない・・・
 
 
地球のリズムとともに暮らしてきた地域の人たちは、
恐らく、この状況を把握し、
ご自分たちのやり方で、すでに対処なさっている。
しかし、リズムに無頓着な先進国こそが、
そのリズムを疲弊させている。
 
リズムを感じるか、感じられないかの違いはなにか?
 
 
それは、神を「人」としてみるか、
「自然」として見るか、
の違いの様に思う。
 
 
南フランスに行った時に、
カトリックの教会の地下に地母神を祭る祭壇がひっそりと残っているのを見た。
 
上に建てられている荘厳な建物以上に、
その地母神は大元に繋がる力がある。
 
しかし、人間の様々な権力やお金、名誉を巡る思惑により、
その大元に繋がる入り口が、人間の作った神の姿で多い隠されている。
また、「大元を権力から守る為。」に覆い隠されたものもあるだろう。
 
人間の作った神を見ている限り、
大地のリズムを感じる事は難しいだろう。
地球の鼓動を感じる事は難しいだろう。
宇宙の流れ、
太陽系のエネルギー、
そして、さらに続いて行く神秘的な世界。 
 
自分がその一部だと認識する事によってはじめて同調が始まるからだ。
 
 
 

2013年3月17日 (日)

サバトから沖縄へ 10

地球の中だけでなく、

外側も見せていただきます。
 
濁った層があるように感じます。
何かと思うと、
人間の想念が現れた状態です。
オゾン層が破壊されて、宇宙の有害な波長が入ってくる事を心配していましたが、
もしかすると、有害な波動を出しているのは、
私たち人類ではないだろうか?
と思うほどに、濁っています。
どうか、自然の法則の中で育まれている他の天体に悪影響を及ぼさない様に祈りたくなるくらいです。
 
自分は、ふつうに暮らしていれば、
別に有害なものなんて出していないし、
迷惑もかけていない。
と、思って生きてきました。
なんとエゴイスティックだった事か・・・・
 
今の世の中自体が、例えば、デトックスが流行ったり、
ヒーリングでも自分に必要のないものは外に排出したり、
大地に流したり、
「自分に必要ないものは、外にだしちゃえ!」
と、出したものはどこか消えてなくなる様に、思いがちですが、
無くならないんです。
 
想念に至っては、自分の中から何が沸き起ころうと、
おかまいなし。
「見えてないし。」
(と、思っているでしょうけれど、見えるんです。)
 
 
「自分」
を中心に生きる。
というだけでも、
地球に負担をかけているのです。
 
じゃあ、
どうしたら良いか?
 
 
まずは、自分の中から出るものに対して「責任」を持つ事はどうでしょう。 
 
 
ゴミは、持ち帰り適切に処分する。
 
自分の想念を垂れ流す前に、どのような傾向性があるかチェックし、
自分の中で浄化していく。
 
出来れば、自分を通して様々なものが浄化できるように
呼吸も、排泄物も、想念も、歩く一歩さえも、
より良きものが出る様に、有害なものを取らない様にする。
 
自分を自然の中のサイクルの一つと考える。
人間がこの地球の清浄器、浄化器になるっていうのはどうでしょう?
 
 
 
「地球の為に、何か出来る事があるのだろうか?」
と、お考えの皆様。
これらは、どれもお金をかけなくても、
意識的に生きれば出来る事です。
ぼやっとしていたら難しいですが、
今、この場から出来る事です。
 
私に考えつくのは、
いま、この程度ですが、これだけでも、実行に移すとなると大変です。
でも、まずこの一歩から始めて行かないと、
何も変わらないのではないでしょうか?
私たち自身がこの地球を弱らせているのですから。
 
 

2013年3月16日 (土)

サバトから沖縄へ 9

朝、座る時間は私にとって一番楽しみな 時間でもあります。

だから、目が覚める事が楽しい。
 
しかし、前に大地の事を書いたけれども、
この数日、その現状を見せていただく事が多く、
自分が今まで「見ないように。」してきた事。
後悔、自責の念、無力感、そんな様々な感情でいっぱいになります。
 
 
 
地球は、生命体である。
だから、内部も生きている。
私たちの身体と一緒。
見える所は、例えば森林伐採とか、砂漠化とか、それだけでも苦しい。
でも、中も大切なのだ。
私たちの身体の中も、見えないからといって、
血液をずっと抜き続けていたら死んでしまうし、
肝臓から少しづつ組織を取って行ったら最後には無くなって生命が機能できなくなる。
地球内部の資源も身体と同じ様に、
抜き取り続けていたら死んでしまう。
目で計測できるものですら切り取ってきた私たち人類は、
目に見えないものに関しては、さらに際限なく取り続けている。
 
見せてもらった地球は弱っていました。
手を当てて介抱してあげたいくらい。
私たちは、資源を抜き取った上に、更にそこに有害物質を埋め込もうとしています。
これでは、どんなにエネルギーに溢れた地球だって、
まいります。
 
でも、それを享受して生きている私。
申し訳ないです。
何が出来るのだろう?
と、考えます。
 
 

2013年3月15日 (金)

サバトから沖縄へ 8

 
先生は、
「心磨き。」
という言葉をよく使われる。
すべては、心だと。
 
私も、ともすると、自我からの視点で物事を見てしまう癖が出るが、
「ヤツ」にも「光の神」にも、
その度に、
「心を透明にするように。」
とご注意を受ける。
どうしても、今まで生きてきた「信念」や「価値観」で、
物事を判断してしまいがちに、なるけれども、
それでは、「本当に深い部分まで知る事、見る事は出来ない。」との事。
毎朝、苦手な人に光を送る事を続けているのだけれども、
そうすると、何故苦手なのかという傾向性が見えてくる。
(ここでまたまた、性格構造論での自分の傾向性と重なる。)
 
恐れ多い事に、
上からの光とお力を頂いたあと、
「全ての苦しみを引き受ける事。」
の意味が分かり始める。
自分の中では、未だ「事が大きすぎる。」
と、どこかで引くが、
私の中には、光と力がまがう事なく存在している実感が、
そうさせる。
 
ひと月前の自分であれば、
「偽善的。」
と撥ね付けている事だと思う。
しかし、それをやってみて、感じたとき、
「これが、神さまの心なのかもしれない。」と、思う。
「神心」
というものを味あわせていただいていることに気づき、
さらに、光と力が大きく広がって行くのを感じた。
 
そして、引き受ければ引き受けるほど、
それは大きくなって行く事を知った。
自分が引き受けるものが多くなれば、
ご指導くださる神さまもどんどんかわっていくのだ。
 
知らない事って沢山あるものです。
だから、常に柔軟に自分の枠組みを作らずおく事は、
とても大切なんですね。
 
 

2013年3月14日 (木)

サバトから沖縄へ 番外編

私の日常は、
個人セッションやクラスも続行中なのですが、
ここでちょっと、
昨年の4月からクラスに通って下さっている方のお話をしたいと思います。
 
彼女は、東北の奥深くから来てくれています。
ご自宅から新幹線の駅まで4時間。
車で山を二つ越えます。
だから、朝いらっしゃるには、朝2時に起きるそうです。
お家には、小さなお子さまが二人。
ご両親とご主人と暮らしていらっしゃいます。
お仕事は看護師さんです。
私のクラスは、
資格が出るわけでも、全国的に有名なわけでもありません。
だから、家を空けるとき、
ご家族に説明するのも、皆さん難しいと思うのです。
それでも、彼女は通ってきてくれています。
必ず、前か後に個人セッションも受けています。
自分が何をしているか説明する為に、
ご主人もセッションに連れてきてくれた事もあります。
セッションを受けるには、一泊しなければいけません。
毎月、まる2日家を開けて、
ご両親やご主人にお子さんのお世話を頼むのは
本当に大変な事だと思います。
 
クラスが始まった当初、
彼女が、
「私は、エネルギーがわからないんです。」
と、言ったとき、
「わからない。
という言葉をまず使わない様にして。」
と、言った記憶があります。
クラスに来てくれる人の中には、
元々、
「見える。」
「感じる。」
と、敏感な人も居ます。
でも彼女は、正直に、
「わかりません。」
と言えるし、元々能力が開いていたわけではありません。
 
ただただ、
コツコツと通ってくれていました。
大きな深いやけどをして、座る事さえままならない時にも、
来てくれました。
その時も、常識ではあり得ない治癒力が彼女に働きました。
そして、この3月のセッションの時、
彼女に自分のハートに手を当ててもらいました。
すると、
「それ」
は起こったのです。
尽きる事のないエネルギーがハートに流れ込みました。
私も彼女も、
「こうしよう。」
という意図はありませんでした。
しかし、『恩寵』は私たちの意図しないところで起こるのです。
ただただ、涙しながら帰った彼女は、
翌日のクラスにやってきた時、
目が腫れていました。
あれからずっと、何かを見たり感じたりすると、
涙が溢れてくるそうです。
見ると、コンコンと彼女のハートからエネルギーが溢れています。
 
ここ最近、確信するのは、
「神さまは、見ている。」
という事です。
彼女の、
「時間やお金や労力、資格、他者の目など、
考えずにただ「何か」を知りたいという思いで、
ただただ純粋な思いに突き動かされて通う。」
という、一見理解されにくいし、実行できない行為。
もしも、私が彼女の立場だったら、
これが出来たかどうか。
 
神さまは、子どものような純真さで向かい合ってくるものには、
惜しげなく、その光を注いで下さいます。
 
「ただ、幼子のように純粋であれ。」
イエスも確か言っていましたね。
 
目の前で、「それ」は起こりました。
 
 
 

2013年3月13日 (水)

サバトから沖縄へ 7

大地とただ一緒に居て今を感じる。

「あぁ これって人にするヒーリングと一緒だな。」
 
翌日も、朝同じように光の神さまの所に行って、
今度は驚かず、もう少し長居する。
「あぁ ここで鍵を渡さなければいけないな。」
と思って、
私の鍵をお渡しする。
それと同時に、私の中に神さまの光が流れ込む。
『ドシン!』
「わぁ、光ってやっぱり凄い衝撃なんだ。
神さまは自然を通して、
色んな証拠を見せて下さるものだなぁ。」
と思っていたけれど、
7時19分に本当にこの近辺が震源の地震だった。
その光は本当に大きく深いものだった。
 
光は自分だけに流れ込んできたものではないことは、
その大きさ深さからもよくわかる。
自分だけでは受けられないもの。
 
静かに、大地に下ろして行く。
大地がびっくりしないように、
最初はただ一緒に居て、
落ち着いてきたら、ゆっくりと伝えて行く。
赤ちゃんに初めておっぱいを飲ませる時の様に、
ゆっくりと慎重に。
むせないように、吐かないように。
やがて、道が出来てくる。
お互いに安心して流れに委ねてみる。
すると、そこにリズムが生まれてくる。
今度は、そのリズムを楽しむ。
相手から気をそらしたら、
そのリズムは、消えてしまうから、
気をそらさずに、自分の感覚を開いておく。
 
なるべく、気がついた時にはこうしている事にした。
電車に乗っている時も、
歩いている時も、
大地のリズムを感じながら一同調していく。
 
ちょうど、お稽古があった。
今までは、
「身体に経を通す。」
という、自分の一歩的な考えでお稽古していたけれども、
地球を生命をして同調させてもらいながら、
下に降りて行く。
一瞬だけれども、大地と同調して経が通った感覚があった。
しかし、次の瞬間に私がそれを追い求めたため、
自分の欲になり、
同調は消え去ってしまった。
我欲にとらわれない事はとても、難しい。
 
 

2013年3月12日 (火)

サバトから沖縄へ 6

帰りの飛行機の中から富士山が見えた。
頂上から、「上に登るモノ。」があり、
私の「ツレ(ヤツ)。」と、何やら連絡を取っている。
ツレは、光の珠を渡すようにいうので、
一つお渡しする。
すると、黄砂で黄土色に もやっていた大気が、
一瞬奇麗に晴れたようにみえた。
私だけかしら、
と思って、隣に居た先輩に聞いてみると、
「うん、変わったね。」
との事。
やっぱり、ついつい確かめたくなってしまう。
Th_  
 
sun  
 
あさの、瞑想とお祈りをしていると、
やはりエネルギーに変化があるのが分かる。
 
カラーナとクンダリーニをあげる事の組み合わせ方が、
今までは今ひとつ分からなかったけれども、
ツレが居てくれる為に、
エネルギーの移行が非常にスムーズに行える。
 
頭頂部から、
(そういえば、先生に頭頂部を触ってもらったら、
「黄金玉が上がったね。良い事がありましたね。」
という事だったが、未だ意味が分からない。)
エネルギーを抜いて、上に登りながらカラーナの状態を組み入れ、
+プラス、ツレに導いてもらうと、
大気圏を抜け、太陽系をさらに抜けて、更に広い世界へ。
そこで、私が今感じられる一番の大元から指示があり、
また、戻って光の神さまのところへ。
 
何とも大きな大きなエネルギーで、
ただびっくりとしていると、
身体が下に下に向かい、味わった事のないエネルギー状態になる。
自分が大地と同化していく。
大地だ。
大地というと、揺らぐ事なく力強くあり続けるものと思っていた。
だけれども そうしていると、大地が生々しく生きている。
呼吸をしている。
しかし、表面を覆い尽くされ、
有害物質を溜め込まれ、息苦しい。
生き物として、とても弱っている事を感じる。
循環させなければいけない。
ご自分の力だけでは、対処しきれない事態に来ている事が、
痛いように感じられる。
本当に息が出来ないくらい、厳しい。
大地も息が出来ていない。
 
どこかで、大地は無限に私たちを育み続ける。
と、あまりに能天気に考えていた自分にあきれるとともに、
その様子に驚き、
ただ、そこに一緒に居る事しか出来なかった。
 
 

2013年3月11日 (月)

サバトから沖縄へ 5

翌日は、また早朝に先生の所の御嶽に伺い、
お参りさせていただいた。
まだ、沖縄でも朝は冷え込む。
持っている洋服を全部着込んでみるけれど、
やはり寒い。
 
先生に敷物を手渡され、
「今朝は、上の神さまからお言葉がありますよ。」
との事。
『何だか、申し訳ないなぁ〜。』
と、思いつつ後に続く。
御嶽の中には、拝みをする場所がいくつかあるのだけれども、
その日は、その一つづつを丁寧にご説明くださる。
 
まず、ミヒヌカン。
火の神。沖縄など琉球諸島で家の守護神として信仰される存在。普通は台所に祀られ、古くは竈のうしろに置かれた3個の石をご神体とした。現在ではウコール(香炉)がそれに代わっている。

一般家庭では、旧暦1日と15日にウブク(ご飯)などの供物を供える。

家庭で祀られるヒヌカンのほかに、琉球王朝全体で祀られるヒヌカンや、地域で信仰されるヒヌカンもあり、最高神とされる。

ヒヌカン信仰は本土の三方荒神中国の竈神(カマド神)信仰習合して形作られていったと思われる。ヒヌカンは女性が守るものとして、現代でも沖縄の人々の暮らしには欠かせない存在となっている。 はてなキーワードより。)

ミヒヌカンは沖縄の方にとって、とても大切なものだそうで、
まず、一番に拝むそうです。
 
次に、身体の神さま。
池のように設えてあるのですが、
そこには、おへそや子宮などもあります。
そこで少し座って 暗がりの中言葉をいただきます。
身体の神さまからは、
「時が来たね。」
「自然の道理を知る為に沖縄にきた。」
「いくら天分を頂いても、仕事は一人では出来ない。」
など、言葉をいただく。
お祈りの言葉を聞いていると、
下弦の月明かりから陽の光に変わり、
見えなかったものが見えてくる。
これも、なかなか味わい深いものです。
蛙や虫の声から鳥のさえずりに音も変わってくる。
 
次は、三十三御嶽の拝所。
ここは、前回「光」を頂いた所です。
 
水の拝所。
食物の拝所。
裁判の拝所。
方角の拝所。
ミルクの拝所。
等等、生活に根付いた拝所がまだまだ続く。
その一つ一つに祈りを捧げ。
日々の生活を送らせてもらっている事に感謝する、
本当に、「実は生かさせてもらっているのだ。」
という事に気づかされる。
 
階段を上って、上の方の御嶽にいくと、
そこで、神さまからの言葉あるという。
私たちは、先生の後ろに座ってその言葉を聞かせていただく。
3人一人一人に、これからしていくべきお仕事について、
厳しく、丁寧に言葉をいただいた。
 
ここまでに、お参りを始めてから1時間半。
毎朝、80を過ぎた先生がこれだけ時間をかけてお参りするのは
本当に大変な事だと思う。
 
そして、心のこもった朝食をいただきながら、
次回の予定等、お話しして、
空港に向かう。
たっぷりと、砂糖天ぷら(サーターアンダギ)と
手間のかかるソーキの軟骨のお土産までいただいて。
そのお心遣いに本当に頭が下がります。
 
こちらがどんなに、その時に出来る心遣いをしたと思っていても、
いつも、それ以上のお心遣いをいただくので、
先生にいただく、お心遣いや言葉を、
自分の中だけに留めておくのは、
もはや、不可能なのです。
神さまも、そうだと思うのです。
溢れるほどの愛とエネルギーをいただいたら、
自分の中だけに留めておく事はもはや不可能。
先生は、こうして神さまのお心を教えて下さっているのだと思います。
 
 
 

2013年3月10日 (日)

サバトから沖縄へ 4

 
しかしなぜ、私が
『龍の目になる。』
のだろうか?
 
その龍は、私とは以前会ったと言っている。
いつかと尋ねると、
「初めて沖縄のリトリートに来た時に、
あなたに流された光として。」
確かに、一回目のリトリートの時に、
ハルちゃんと典子さんにヒーリングしてもらった時に、
金色の光がグワーッと流れてきた。
あんな光は初めてだった。
その後、東京に帰って、
「何だか左に感じるものがある。」
と、師に言うと、
「金の龍がいる。」
と言われたっけ。
 
そして、二回目のリトリートの時には、
台風が直撃して、
お風呂の中で台風が近づいてくるのを見ていた。
まるで自分の中を台風が通り過ぎて行くように感じたっけ。
あの台風のエネルギーの中にも存在していたとのこと。
 
暫く様子を見ていたとの事。
 
実は前回那覇空港に降り立った時に大きな龍が登って行くのが見えたのだけれど、
それも、そうだったらしい。
 
それにしても、「龍の目」とは?
夕食会で、ダイゼンさん(先生の息子さん。)このヒントを頂いた。
私の見たものに対して、
「あたりまえ。」
の事のとして、ご説明くださる。
今回見たものや、
東京で神社を回る時に龍と光の珠が鍵となった事をお話しすると、
もともと、沖縄は「龍の国」だった事。
「琉球」「竜宮」
という言葉。
先生の御嶽に降りられた龍の事。
等等、ヒントを沢山。
 
そして、「龍の目になる。」事については、
これから先 歩まなければならない道の為のヒントが隠されているらしい。
 
直接、ヤツに「龍ってなに?」と、尋ねると、
「人間が龍という生物に捉えているが、
我々は、肉体を持たないエネルギー体である。
あるものは、それを龍にたとえ、
あるものは、戦士に、
あるものは神と言う。」
 
「ふーん。ヤツとか言っちゃ駄目か。」
 
 

2013年3月 9日 (土)

サバトから沖縄へ 3

翌朝、ホテルで朝食を頂きながら、

更に先生の録画を再チェックしていると、
私の頭の中に、恐らく5ミリから1センチの間ほどの小さな金色の光の珠が現れ、
私の右脳をグルグルと回り始めます。
始めは頭痛かと思っていましたが、
頭を上げている事も出来なくなり、
頭を下げても
グルグルは治まらず、
「頭がグルグルするから。」
と、横になり様子をみます。
お昼になり、昼食を取りに取りにソロソロとホテルを出てみましたが、
歩くと更にグルグル回り、
これが右側だけなのが、また問題で、
左右対称じゃないから、まっすぐに歩けない。
二人には、昼食を取りに行ってもらって、
私は部屋に戻ります。
いや、壁づたいにやっと辿り着きました。
 
実は、気づいていたのです。
窓の所に「ヤツ」が朝から居るのを。
ずーっと覗いているのですが、
無視。
しかし、グルグルは治まらず。
既に太陽は夕方に近づいている事を教えてくれています。
夕食は先生のご長男がお誘いくださっているので、
どうしても行きたい。
しかし、このままではトイレまでも辿り着けない・・・
既に6時間以上この状態。
 
「仕方ない。。。」
「何でしょう?」
と、「ヤツ」に聞く私。
すると、「ヤツ」は、私を背に乗せて、
上空から、自然の中で(恐らく御嶽)行われている儀式を見せます。
藍色の見た事のない形の頭飾りと、衣装を身に着けた、
どこの国籍かも定かでない10人ほどの人々が儀式を執り行っています。
 
そして、帰ってくると、
「ヤツ」は、
『私の目になりなさい。』
との事。
「どういう事かしらね?」
と無視しながら、考える私。
しかし、既に6時間以上も右脳だけをグルグルする状態なので、
見え方が違っていて、その目になっている事を否定できない。
「そこに選択肢はあるのだろうか?」
と、とりあえず保留。
しかし、話が終わると、
とりあえず、グルグルが治まっている。
 
良かった〜!
という事で、夕食会に参加。
先生がいらっしゃらない+お酒が入る=緊張が緩み話がダイナミックになる。
という方程式で、
ますます、興味深いお話を様々伺う。
「今日は、何してたの?」
とのご質問に、
「大変だったんです〜。」
と、カクカクシカジカお話しする.
 

2013年3月 8日 (金)

サバトから沖縄へ 2

という事で、

前回よりも一歩暖かくなった沖縄に降り立ちました。
先生が、
お昼ご飯を用意してくださっている。
と言う事で、
空港からまっすぐに先生のお宅に。
タクシーには、すでに冷房が入っています。
 
「先生!また来ちゃいました!」
と、先生のお元気そうな笑顔を見てホッとして、
神さまにお参りさせていただいて、
お席についた途端に、
次から次へと机の上にお料理が並びます。
沖縄のお祝いのお膳。
という事で、食べた事のないごちそうを沢山頂きました。
ソーキの軟骨がトロトロになっている煮物とか、
ニガナの卵和えとか、
美味しかった〜!
先生は、「食」を非常に大切にされています。
伝統的な沖縄料理には、
人間の身体を作る様々な神の関与があるようです。
私たちに食物を与えて下さる、
「存在」の為の拝み場所は、当たり前のように、
いくつもあります。
だから、こうしていつも伝統的なお料理を出して下さる事は、
「実際に身体で味わって、勉強しなさいよ。」
と、仰っているのだと思い。
その思いもありがたく美味しく頂きます。
(だから嫌いな椎茸も食べられる。)
 
 
さて、このひと月の出来事をご報告。
それぞれにひと月の間にわいた疑問など、
「先生質問です。」と、手を挙げて伺います。
(いつの間にかそういうルールが。)
 
私は、神社での出来事や、龍に関する事を伺い、
「これって、本当でしょうか?」
と言う度に、
ニコニコして、
「本当ですよ。」
との事。
私はトレーニング時代から自分が見えるものに関して、
エゴの肥大にならないように必ず、
師のフィードバックをもらうようにしています。
幻想を勘違いしていたら先生は ばっさりと切って下さるので、
まずは、一安心。
また、長い間先生にお話を伺いました。
あまりにお話が多岐にわたるので、メモを取る事もままならず、
録画させていただいています。
これに関しても、先生は、
「どうぞどうぞ。」
と記録を残させて下さる。
そして、膨大な世界に圧倒される私たちに、
「何回も、何回もいらっしゃい。」
との言葉。
嬉しくなりました。
 
そして、翌日の予定を聞かれたので、
どうしようか?
と皆で顔を見合わせると、
「明日は、『庚』だから聖地には立ち入れない。」
との事。
「庚」の時には、先生も御嶽には上がれないそうです。
この「庚」を知らなかったり、
信じなかったりする者が、
うっかりと聖地に立ち入ると、
あちらに「捕まって。」しまう事もあるそうです。
 
伺っておいて良かった。
しかし、明日は何をする?
という事になり、
「きっと、『上』からの指示があるでしょう。」
と、流れを楽しむ私たち。
しかし、復習は怠らず、
先生のお話を録画したものを、何度となく再チェックし、
先生に伺いたい事をまとめるのでした。
 
翌日。
予定を決めなくて良かった自体がやはり起こります。
 
 

2013年3月 7日 (木)

サバトから沖縄へ 1

 
ただいま〜。
一回目の沖縄で頂いたものに関して、
ヒントがない状態でのひと月は、
とても中身の濃いものになりました。
 
私は、自分の外からの働きかけで何かが起こったとしても、
それを自らの中に統合しない限り、過ぎ去り流れていく。
という事は、ヒーリングをしていく際にも、クラスをしていく際にも、
非常に明らかな「事実」として捉えています。
 
多くの人は
「外からの働きかけ。」
に多大な期待と関心を寄せます。
それは、
「マスターのエネルギー。」
であるかもしれないし、
「ある特定の場所に流れるパワー。」
かもしれないし、
それは巷にあふれるニューエイジグッズかもしれないし、
「これを身につければ、悪い波動をプロテクトする事が出来る。」
とか、
「素敵な運が訪れる。」などなど。
 
そのような美味しい言葉の裏に、
「そこに、内的成長はあるのか!?」
と思います。
恐らく数珠(ブレスレット?)作る人とかも、
善意で始めた行為かもしれないけれど、
その先にすすませる障害や、依存に繋がる事を認識しなければいけない。
私のクラスに来る人も、当初、石の数珠とかつけてても、
自己成長に目覚めた人は、
次第に外し始めます。
沖縄の私の師匠(弟子と思って下さっているので師匠と呼ばせてもらいます。)
も、
「あれつけている人は、『私はいいカモですよ。』といって歩いているようなもの。」
と、バッサリ。
師匠は、お礼に来た大勢の落ち武者達を
お礼に来たとは気づかずに
「めんどくさいね。」と、
ドライヤーでまき散らしてしまい、
後から、
「お礼に上がったのです。」
と言われてしまうくらいの豪傑。
「あら、悪かったね。」と仰ったそうです。
対処できるものの桁が違いますし、
全てが対等なのです。
 
(もともと、古代には輪になっている事自体が
「内と外の境界を作る。」
ということだったのです。
輪の中に入ることが、自らを外界と隔てる事でした。
お堀とかもそうですよね。
だから、自分でひもを丸く結んでそこに意図をこめれば、
石なんかつけなくたって、内と外を隔てる事が出来るのです。
往々にして、人は元々の意図やエネルギーを感じずに、
流されやすいものです。)
 
師匠は、
人間にとって一番大切なのは、
「心磨き。」
(師匠のこのお話は非常に深いので、詳細は後ほど。)
と仰るし。
私も、
「エゴを徹底的に見て、すべては自分が作り出している事を認識する事。」
だと思います。
ですから、どんな光を頂こうが、どんなに素晴らしい師匠に巡り会おうが、
それによって変化していく自分の内側を見つめていく事なしに、
自己成長はありえないのです。
光が射せば、見えていなかった影の部分が浮かび上がってくるからです。
その影をみなければ、
「依存」
になります。
 
 

2013年3月 6日 (水)

沖縄からサバトへ 13

しかし、このお仕事を終えてみると、

要塞の存在感が薄くなり、
背中に何とも言えない清涼感。
楽。
と、共に今まで肉体を覆うような形ににあった「上」が、
一体になった感がある。
何とも言えない、至福。
           
ヒーリングをするときも、
共に行うので、どっちの手だか分からなくなる。
しかもその手は、隅々までのびていくので、
移動させる必要がない。
 
面白いのは、その手を
「光」
として感知する人もいれば、
「より具体的なエネルギーの流れ。」
として、自分の必要な部分への非常に具体的な変化として感じる人も、
圧倒的なエネルギーが、
「苦しく。」
感じる人もいるという事だ。
 
 
         
さて、毎日書いてると、
「読んでます。」
とお声をかけていただく事が多いのですが、
クラスではこの事に関しての質問を沢山もらいます。
 
まず、
「『神さま』
とはどの神さまなのか?」
「神さまって何?」
そうですよね。
日本では、八百万の神さまがいらっしゃるし、
世界中で様々な神さまがいらっしゃるし、
その為に戦争まで繰り返す。
でもね、
よくよく辿っていくと、
根源は一つのように思えるのです。
それを表現していく際に、
土地や時代や風習や人間の欲望や
そんなものに合った神さま像が出来上がって来たし、
これからも出来上がっていくのではないかと思うのです。
そうして、人々の想念の中で形作られた神さまは、
アストラルの神さまです。
チベットの教えの中には、
神さまですら輪廻を超えなければならない。
というものがありますが、
その神さまは、恐らくこの辺りの神さまではないかと思います。
出来るならば、全体を見据えていきたいものです。
しかし、アストラルの神さまであっても、
敬意を払い、上手につきあっていきたいものです。
そこには、先人たちの知恵等、
必ず学ぶべき事があるからです。
 
 
さて、沖縄から帰ってきました。
今回も、ちょっとついていけないくらい事が大きくなって、
びっくりです。
 
 
 
 

2013年3月 3日 (日)

沖縄からサバトへ 12

時間があれば、内省する日々。

とにかく、いくらでも座っていられる。
全く雑念なしで。
楽しくてしょうがない。
 
さて、
話はちょっと変わって、
ちょっと、普通な話題を提供。
にしたかったけれど、
普通にはならなかった。
 
昨年から約束していた 大好きな先生(日本の神々の事を研究されている。)
との神社巡り。
私が数年前に奈良の石上神宮で見たヴィジョンのことで久しぶりにご連絡を頂き、
ようやく、お目にかかる事が出来た。
日枝神社と大国魂神社にご一緒させて下さるという事で、
先輩とともに、3人で待ち合わせ。
今回は、先生のお付き合いというスタンスで出かけたのだが、
日枝神社に着いた途端に「上」からの指示があり、
その指示に従うことになる。
 
とにかく
「今から、しゃべるな。」
と言われるので、スマホに
「しゃべるなと言われるので、しゃべれませんが指示があるので、次の所に行きましょう。」
と、書いてお二人に見せる。
こんな私におつきあいくださる先生と先輩。
しかも、嫌な顔一つせずに。
 
声は道順まで指示する。
長い道のりを80歳を過ぎていらっしゃる先生に歩かせるのは申し訳ない・・・
と、思いつつも指示ポイントをカヴァーしつつ黙々歩く。
指示出しをする慣れない神さまの名前は、スマホにメモしながら、沈黙の行。
 
数時間後、
終わってみたら、
「ホントですか?」
というようなお役目が終わっていた。
 
あまりに荒唐無稽な話しすぎて、書けない・・・
「あり得ない。」
と、心の中で言うと、
「おみくじを引きなさい。」
と指示され、引いてみると、
(私はおみくじは引くのが嫌いで滅多に引かない。)
「沈黙と静。」についての記述。
怖くてすぐに木に結びつけちゃいました。
 
沈黙から解放され、堰を切ったように、
「申し訳ありません。」
と、二人に「上」からの指示の事、
「何があったか。」
をお話しする。
「ちょっと引きますよね。こんな話。」
という私に、二人は、
「いや、本当なんだよ。これは。」
と、真面目に聞いてくれる。
このお二人は、いつも、私の事を私以上に信じて下さるし、
私の言葉をずーっと覚えていて下さる。
(私は、すぐに忘れるのに。)
 
しかしその後、神さまの名前の答え合わせをしてみると、
本当にいる神さまだったりするから、
私の方が、
「ヤバい、かなりヤバい。こんな大事はヤバすぎる。なぜ私が。」
と、引いていると、
「上」からは、さらに「言葉による証拠」を見せられて、
それを「スマホでググル」と、その通りで、大いに引く私であった。
 
こういう事は、日本の神さまを信じている人がやれば良いのではないかと、
真剣に思う。
何しろ、名前が覚えられない 難しくって。
 
 
 
 

2013年3月 2日 (土)

沖縄からサバトへ 11

(「上曰く」)
「あなたが、私である事を忘れてしまっただけです。
あなたが肉体を持った時、
そのエネルギーに慣れる事に専心するあまりに、
自らが神であるという「視点」を忘れてしまったのです。
そしてまた、それを忘れてしまった人々に、
神の光をただ流していくという仕事も忘れてしまったのです。
多くの人々は、それぞれそれを補う為に生まれてきながら、
それを忘れ、自らの「殻」に閉じこもってしまったのです。
そして、自分が
「裏切りの主」
であると思う
「神」
に裏切られたと思って生きるのです。
それは自らを裏切る行為でもある。
あなたが様々起こる神聖なる道に対する自分という存在への疑念は、
全てここから来ています。
「神を心の底で疑っている私に そのような事が起きて良いのだろうか?」
と。
人々は自らが肉体だけの存在であると思うから、
裏切り、傷つけ合う。
しかし、エネルギーは無限で、奪い合う必要も無くなる心配もないのだ。
神は見捨てない。」
 
 
そして、その鍵を渡す事こそが、
「全託。」
との事。
 
 
私がまだ腑に落ちてないと、更に。
 
「(私の)背中上部、ハイハートにかけてのブロック。
これは、神との分離による原初の傷である。
そして、肉体を通して神に辿り着くという事は、
全託以外にあり得ない。
それは「死」の儀式である。
古代から伝わる密儀のすべてが
門をくぐる際には、
「死の儀式。」
が執り行われる。
我々は、神へと自らを託す事により、
「自我の死。」
をくぐり抜けなければならない。
そしてハイハートに持つ鍵こそ、
(私の)自我の鍵。
しかし、元々神の一部であり、
個となった事により、
自我を育んできただけの事。
元に戻るだけなのだ。
自分の鍵を持っている事すら「幻想」なのである。」
 
 

2013年3月 1日 (金)

お知らせ

ここで、ちょっとお知らせ。

エーテル体のクラス、今の時点で閉め切ります。
これ以降は、平日、土日共に人数の超過のため入れません。
自分の名前があるかどうか心配な人は連絡入れて下さい。
メール連絡とクラスの際に口頭で名前を申し出ていない人以外は入っていません。
 

沖縄からサバトへ 10

神との分離

は、私たちあらゆる人間の中の原初の傷なのだろう。
私たちは、人生を通して、
いかに神と和解していくのか。
という大きなテーマを持って生きているのかもしれない。
当初教えられる神とは、
所属するコミュニティ(家庭、学校などなど)
にとって都合の良いものに他ならないが、
人は自立するに従い、
一定のコミュニティから踏み出していくものだからだ。
本来 神とは所属するものに左右されるような存在ではない。
限定付きの愛や、慈しみは、
より物質的な枠組みの中から育まれた「都合の良い神」の姿に他ならない。
 
神の本質の一端を垣間みたものは、
その想像を遥かに超える大きさの前にひれ伏さずにはいられないだろう。
そして、自分が見てきた、思い描いてきた世界がいかに
「脆弱な『都合の良い神』」
という名の下に支配されてきたのかを知る事になるだろう。
 
sun
 
さて、私の背中にある要塞は、年月をかけてさらに強固なものへと変化してきたのだろう。
それは、一見「強さ」見えるが、「弱さ」でもある。
自らの中の「弱さ」を認め、露見させる事でしか、その内に潜む、本当の「強さ」は得られない。
 
sun
 
さて、要塞の内にある「弱さ」を認め、中に入れてもらったは良いが、
更に中には入れ物が合った。
それは、ハイハート付近に浮かぶ「妖麗なる箱。」
その中に何が入っているか?
 
『鍵』
 
これは、私の『鍵』であり、
「上」に預けなければ、その先には進めそうにない。
 
「上」に鍵を託したら・・・
 

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