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2007年6月27日 (水)

エジプト6日目その1

ルクソールのナイル川沿いのホテルでの早朝。 窓の外を見るとオレンジ色の月がゆっくりとナイル川に沈んでいくところだった。 日が沈むのを見る経験はあったが こんなにもインパクトのある月も それが沈む様子を見るもの初めてだった。 ハッと気づいてデジカメで撮って見たが設定を変える間もなかったので こんな写真しか撮れずに残念。。

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月が沈むとあっという間に明るくなり、空には青空が広がる。 数分前までの神秘的な世界からは違うところにきてしまったような 清涼感のある美しさが広がる。 青空の色を写し 悠々と流れるナイル川は本当に美しく、大いなる女神がその身を横たえているような錯覚を覚える。

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日本から持ってきた御神水を川に注いだ後とか、祈りをささげた後とかにも グットタイミングでやってくる白鷺。071

山本ユキ HP 

2007年6月20日 (水)

帰ってきて、本当に体がいつもの感じと違うので、カードを引いてみると 「無」のカードだった。

『「隙間のなかに」在ると、方向を見失い、怖くなることすらあります。しがみつくものはなにひとつなく、方向感覚もなく、この先にどのような選択と可能性が待ち受けているのか、そのヒントすらつかめません。しかし、宇宙が創造される以前から存在していたのは、まさに純粋な潜在能力という、この状態だったのです。今あなたにできることは、この無のなかへとリラックスしていくことだけです……言葉と言葉のあいだにある、この沈黙のなかへと落ちること……出ていく息と入ってくる息の中間にある、この隙間を見守ることです。そして、その体験の空っぽの瞬間を、ひとつひとつ大切にしましょう。』

変な感じのまま、渋谷の街に行った。 消防自動車が走り続け、ヘリコプターがバリバリと音を立てて旋回している。 セッション後にいつも食料を買って帰る東急本店に行くと、道路は通行止めになり、デパートの入り口にあるテレビのモニターは黒山の人だかりになっていた。 少し先にある温泉施設が爆発して死者も出たという。 デパートからは数百メートル先の話。 見たこともない数の消防車。見たこともない様式の消防車。 東京に帰ってきた実感がまだ馴染んでいない上に、この状態。 しかし、こんなにも都会の真ん中で、こんなにも住宅が密集した場所で、なぜ温泉を掘らなければいけなかったのかは どうしても解らなかった。 大きな自然に抱かれた場所から帰ったからこそ実感できるが、自然を甘く見てはいないだろうか? 地球は、きっと一回の身震いで私たちを振り落としてしまうくらいの大きなエネルギーを持ち そんなに大きな存在だからこそ、忍耐強く私たちのやることを見守り続けてくれているような気がする。 でも、いつまで見守り続けてくれるのだろう?

まず、自分が自然の一部であること。 繋がっていること。 そんなことを再確認させられた旅だったことが、土地を離れ 時間を経るごとにジワジワと伝わってくる。

山本ユキ HP 

2007年6月19日 (火)

ヒロより帰国しました。

俗世間とはかけ離れた自然の大地にすっぽりと包まれ、羊水の中に漂っていたような1週間を過ごし、 たまにお魚が出てくるが基本ベジタリアン食になれた体と心とエネルギーは、私の普段の生活には直ぐには戻れないほど変化していた。

Ikunパパと「動物性蛋白が恋しいよぉ。。」とよく話していて、それを夢みていたが、久々に取るシャンパンやワイン、動物性たんぱく質は体に絶大なる被害を及ぼした。既に飛行機の中で、頭痛と吐き気に襲われ、タクシーの中では最高潮に達し、今朝まで動けなかった。。。  Ikunパパはバーガーキング食べて大丈夫だったかなー。。。 皆はどうだったかなー?

食べ物の洗礼は受けたけど、セッションへ向かう途中の渋谷の街の洗礼を受けることがちょっと心配。。 まだ胃腸が痛むし。。

再生なんだから離乳食から始めなきゃね。 と後悔した。

山本ユキ HP 

2007年6月11日 (月)

エジプト5日目その3

暑さで、フーフー言いながら車に戻り、次なる場所に向かう。 メムノンの巨像では「通り過ぎて」もらった。 (車からそれを見るとなんだか「道の駅」見たいな趣があった。)

テーベの街はにぎわっていて、それでもどこか昔ながらの香りがする。 まず、カルナック神殿へ。 入り口にはバスが連なり、日本の遊園地のような混み具合。 中に入っても物凄い人でとても単独で写真に写ることは出来ない。。

229 それでも、空に向けてレンスを向けると 青空とベージュのコントラストが何とも美しい。

216 凄い人ごみなので、なぜだか上に向けての撮影が多くなってしまった。。。

そろそろこのあたりで遺跡が耳から出そうになってくる。。

その後、カルナック神殿へ。。 同じ神殿とは言えこちらは閑散としている。規模自体が違うがあまりにうら寂しい感じがした。 心なしか、私たちの歩調はノロノロになり、オスマンさんの説明は早口になった。 気のせいだろうか。。。

早々に引き上げて、ホテルに向かう。 ホテルはナイル川沿いにあり、ここのナイル川はどこよりも美しかった。

045 夕食後に市場に出かけて、香辛料を購入する。特にサフランが沢山あった。 インド産とエジプト産では色が少し違う。 インドのものは赤く、エジプトのものはオレンジだった。 日本だととても高価だが、ここでは手ごろな値段で手に入る。

ホテルではコテージに泊まった。 コテージは本当に川のほとりにあり、窓からは美しい景色が眺められる。

山本ユキ HP 

2007年6月10日 (日)

エジプト5日目その2

その後、ハトシェプスト女王葬祭殿へ、。 数年前には日本人の観光客がテロにあった場所だがここで襲われたら、逃げる場所がない。 周りには岩山が囲んでいるが、それ以来、下からは見えない位置に警護官が見張っていると言う。 ちょっと物々しくて、暑いけど寒々しい感じがする。

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内部には、綺麗なレリーフが今も残っている。

ハトシェプストは古代エジプトの時代、自らファラオとなり、男性と称して王位についた最初の女王。約20年平和交易外交を行ったが、死後、トトメス3世によって彼女の肖像や名前は抹消された。 美しいレリーフが残る反面、彼女のレリーフや名前は無残に削り取られている。 もったいない。。。 もうちょっと大人になりなよ。。 と言う人はいなかったのだろうか?

211 エジプトの遺跡の天井を見上げると、そこにはいつも美しい星空が広がっている。 あの時代はこんなに沢山の星が瞬いていたのだろうか? とか、果てしない星空の向こうに何を見ていたのだろうか? とか、 考えていると この星空に吸い込まれていきそうになる。

山本ユキ HP 

2007年6月 6日 (水)

エジプト5日目その1

飛行機でアスワンからルクソールへ。

王家の谷へ。 物凄い暑さでクラクラする。 暑いせいかほんの少しの距離でもカートに乗って移動する。 一面、ベージュの世界が広がる。 どうしてこんなところにお墓を作ったのかしら? 墓を作る人は早死にしなかったのかしら? 吉村先生は何だかんだ言って、こんなところで発掘をしているのだから やはり凄い!(エジプトで吉村先生は有名人だった) 早稲田の発掘隊は大変だろうなー。。(あんなにお嬢様風の人が多かったけど。。) 砂に音が吸収され、自分の息の音しか聞こえてこないような空間でそんなことを考えながら1歩1歩進んだ。 ツタンカーメンのお墓は、他の墓に比べても考えられないくらい狭い!日本の住宅サイズだ。(数日後に考古学博物館に行って驚くことになる) 今でもその狭いお墓の中にはツタンカーメンのミイラが横たわっている。 小学生の頃に「ツタンカーメン王の秘密」を読んで以来、私の中で大きく大きく膨らんできたエジプトへの憧れはツタンカーメン王のお墓に入り、棺を前にしたとき40年近くかけて実を結んだかと思うと、感慨深い。 

しかし、暑い! 何しろお墓に入る以外日差しを逃れられる場所がない。 王は盗掘を逃れるために人里はなれたクルン山をピラミッドに見立ててその麓の谷間に墓を作ったらしい。クリスチャンジャックの「光の石」は墓作りをする職人たちの話だったけれども、改めてこのきびしい環境での作業は大変なものだったろうなー と思う。(ちなみにオスマンさんにクリスチャンジャックの話とかすると、欧米人が言っている事は当てになりません! と切って捨てられる。)

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上は、トトメス3世の墓の入り口に行くまではるか上まで登る階段。 この墓の中は、とっても綺麗に壁画の色が残っている。 こんな所にお墓を作ったことも凄いけど、盗掘した人も根性がある。

エジプトへ行ってこのお墓まで辿りつきたいのであれば、体力強化してからがイイと思う。

山本ユキ HP 

2007年6月 4日 (月)

エジプト4日目その4

イシス神殿の後は、未完成のオベリスク観光を断りホテルへと向かってもらう。 昨年は、未完成のオベリスクに行った欧米人の女性がが60度の気温の中倒れたと言う。。。35度でもぐったりするんだから。。

アスワンで泊まるホテルは、ナイル川をはさんで向かい側にあるため、ファルーカという風だけで動く帆船でほんの少しの向こう岸に渡るのだけれど、風を利用するだけだから なかなか着かない。 右に行って「あー岸に近づいた!」と思うとまた戻り、「近づいたー。」と思うとまた戻り、を繰り返し40分近く船に乗っていた。 横ではモーター付きのボートがブンブン岸と岸を往復している。 そろそろ飽きてきたなー。 と思う頃に、船を操っていたヌピアの男の子が、お家で作ったというビーズのアクセサリーを「どれでも2ドル」と言って広げてきた。 物凄く密な空間の中で彼の謙虚な態度に断ることも出来ず、いくつか買い求める。 直ぐにパクシーシをおねだりされるこういう所では強い態度に出られるよりも、少し控えめな感じにグッときてしまうものだ。。。 

夕食には少し早めの時間にホテルに到着した私たちとオスマンさんは数時間後にロビーで待ち合わせをしてそれぞれの部屋に戻った。 7時にロビーに下りていってもオスマンさんの姿はなく、部屋に電話しても、ドアをいくら叩いても出てこない。 ドアに耳をつけて音を聞いていると、携帯の「タンタラタンタラター」というエジプトポップスが鳴り響いている。あんまり反応がないので、「倒れているんじゃない?」と心配になった私たちは、ホテルの人に「倒れているかもしれないから、見てみて!」とお願いした。 何だかホテルの人も、慌ててもいないし。。 するとドアの向こうからオスマンさんが 何とパジャマを着て寝ぼけ眼で歩いてきた。 「ドウシタンデスクァ?」 「待ち合わせ時間になっても起きてこないから倒れていると思って心配になりました。」と言っても 何だかホテルの人もオスマンさんも鈍い反応だし。。私たち3人は持って行きようのない感情に「昼寝でパジャマきるか?」「このまま寝てたら夕食はどうなっていたか?」等等語りながら、魚のタジンを味わった。 オスマンさんにとって、寝過ごすことよりも「タジン」の発音の方が重要なようで、私たちが「タジン」と言うと、「イイエ違います!タギン!」とイチイチ直してくれる。

翌日は、ナイル川のほとりにあるレストランで気持ちの良い風を受けながらの朝食はどこで食べた朝食よりゆったりと満たされ美味しかった。(ちなみにすべての朝食はエジプト料理ではなくビュッフェだった。)

山本ユキ HP 

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